お泊りデイサービスでの看取り体験記

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みなさんこんにちは、テラド(@terashin1226)です!

私は27歳から約4年間、介護職についていました。

まぁ介護といっても色々ありまして、私は「デイサービス」と言われる種類の事業所に勤めていました。

しかも介護保険ではなく自費による宿泊サービスもついてる「お泊りデイサービス」という形態でした。

基本的にはご家族の負担軽減という意味の「レスパイトケア」のために一時的に宿泊していただくのですが、僕が管理者として着任した事業所には実体としてもはや「住んでいる人」がいらっしゃったんです。

(賛否両論あろうかと思いますが、色々事情もありました。)

最終的に僕をその方を目の前でお看取りすることになったのですが、そんななかなかできない奇跡のような体験をお届けします。

異動先はもはや「デイ」サービスではなかった

20XX年、私は2年間勤務した東京エリアから、埼玉にエリアに異動することになりました。1年現場経験を積んだあと、1年東京で管理者業務を見習い的に実施しました。その後、正式に管理者として着任することになりました。

異動先では、要介護5、いわゆる「寝たきり」状態の方が2名いらっしゃいました。

…あれ、ここデイサービスですよね?

と内心は思いつつ、引継ぎを受けました。

前任の管理者から衝撃の一言。

Aさん、ずっとここに泊まられてるんです。

介護業界にいる方ならわかるとは思いますが、制度として30日以上の理由のない宿泊は原則的にできないこととなっています。それ以上はデイサービスではなく他施設(入所が必要な特養など)への入所を検討する必要性があります。

ご家族の「自宅にも介護する場所もないのでずっとここで見てください。」というご意向と、ケアマネさんも「スタッフさんも慣れてるし、ねっお願いします」とゴリ押しで、今まで密かにお泊りをやってきたのだそう。(ほんとはダメなんですよ。)

管理者として着任した私も、いきなり「ルールなんで出て行ってください」とは言えません。

なんということか、常時お泊りの方がいるデイサービスというグレーゾーンな事業所を引き継ぎ、運営していくことになってしまったのです…!!

つねる、たたく、そしてニヤッと笑うAさんとの出会い

Aさんとの最初の出会いは引継ぎの初日。送迎ルートや、介護保険の申請書類、その他細かい事業所ルールなど前任者からの引継ぎを受けた後、フロアへご挨拶へ行きました。

ちょうどおやつの時間。車椅子でおやつを食べていたAさん。(この時はまだおひとりで召し上がっておられたと思います。)

僕がそっと手を差し出すと、手の甲の部分をきゅっとつねって「ニヤリ」と笑うAさん。

おぉ…なにすんじゃぁこの人…

「あ、だめですよぉそんなことしたら、Aさん」

次はこぶしでトントンと僕の甲を叩く、そして「ニヤリ」

寝たきりの方で力はまったく感じないのですが、これがAさんなりのコミュニケーションでした。

90歳も超えられていて、ほとんどお話しもできない状態。コミュニケーションはこんな感じのいたずらや、文字盤を使っての「はい/いいえ」程度でした。

そんなおちゃめなAさんは、ほかの利用者さんにも人気で、おやつの時間やレクの時間に別の部屋から車いすにのって登場するのですが

「Aさん、元気?」とみなさんから大人気で、手をにぎったり、ニコニコ笑顔でみんなをいやしてくれるアイドル的存在でした。

褥瘡(じょくそう)から救え!訪問医療を無理やり使ったれい!

事業所の運営にも慣れてきたころ、スタッフから報告が。

「テラドさん、Aさんの臀部(でんぶ)みてもらってもいいですか?」

元々発赤があったのは認識していたのですが、確認してみると皮膚に剥離が。ご家族が預けてくださっているワセリンで対処していたのですが、剥離はどんどん広がってしまいました。

純粋なデイサービスならご家族に医療サービスを受診してもらってから来所していただければいいのですが、Aさんは「住んでいる」んです。ご家族もご高齢で通院なんてとても無理とおっしゃる。

とにかくAさんのためにいろいろ手探りで動いていくことになります。

エアマット導入

介護の世界ではサービス担当者会議という利用者に関する人たちが一同に会してケアプランについて話合う会議があるのですが、そこで知り合っていた福祉用具の方にさっそく電話してみました。

「格安のエアマットとかないっすかね…?」
「レンタル品のおさがりでよければありますよ」

「それ、購入します!」

すぐ会社に許可を取って購入、自動体位交換機能が付いたエアマットを「同じ〇〇市で頑張っている事業所さんなので」と格安で購入しました。

反則技も使ってしまえ…

※はじめにいっておきます。「良い子はマネしないでください

エアマットを導入したものの、一度炎症を起こした褥瘡はなかなか改善しませんでした。そこで、Aさんのかかりつけ医に相談すると、寝たきりの方対象に訪問を行っている皮膚科があることを伺います。

普通は自宅への訪問でないと診療報酬が取れないのでドクターは嫌がることが多いのですが、「自宅に行ったこと」にして、来所してくださることになりました。

で、デイサービスの記録としては、空白の時間を設けて受診してるようにいい感じに処理しておきました。

実地指導では突っ込まれることはありませんでしたが、今思うと違反丸出しで、怖いもの知らずだったなぁと思いますね…でも必死だったんす!

皮膚科の往診を受けて、みるみるうちに褥瘡は完治しました。

看取りが近いと判断し、ご家族、医師と連携

Aさんの様子がどうもおかしい。スタッフからの報告が頻回になりました。固形物が食べられなくなってきました。すべてミキサー食とムース食に切り替えました。

数か月たち、Aさんは37度を超える微熱が続くように。

実は東京で管理者をやっていたとき、お看取りギリギリまでご利用いただいていた利用者さんがいました。その時に看取り前の状態がどのようになるか、体験として知っていました。その方は血圧の状況から判断し、半ば強引にご帰宅、1週間後に亡くなられたという感じでした。

いよいよお見取りが近いと判断した私は、ご家族とケアマネを事業所に読んでミーティングすることにしました。

ご家族へのケアマネと打ち合わせ

ご家族、ケアマネのご意向は「ここで最後を」ということでした。かかりつけ医に確認したところ、夜も駆けつけてくれる、死亡診断書も書いてくださるとのことでした。

そしてなんと事業所のすぐ近く、10メートルも離れていない場所に葬儀屋があるんです。

もし「お迎え」が来たら、かかりつけ医を呼んで死亡診断書を書いてもらい、そのまま葬儀屋さん向かうというルートができあがりました。

手はずが整ったことで、施設内でお看取りすると覚悟も決まりました。

私自身は看取りはできると踏んでいましたが、対応するのはスタッフのみなさんです。デイサービスでまさか看取りするなんて…とスタッフのみなさんも思っていたと思うのですが、みなさん頑張って協力してくださいました。

すでに看取り時期が近いこと、血圧、SPO2(血中酸素飽和濃度)の変化があったらテラドにすぐ伝えること、救急車を呼ばないこと(呼んでしまうと蘇生処置されかねない)を申し送りして、常にそのタイミングをうかがいながら、精神を研ぎ澄ませながら過ごすようになりました。

突然訪れた「さよなら」の時間

「昨日、Aさん久しぶりに笑ってくれたんですよ」と夜勤スタッフからの申し送り。

でも朝見るとAさんのご様子がおかしい。目に生気がない。血圧が100を切り始めていました。SPO2を図るパルスオキシメーターという機械を常時着用してもらうように指示。SP02は90台前半~80台後半とかなり低めになってきていました。

「最後かもしれないから」と内心思いつつ、普段やらない入浴介助にスタッフと一緒に入りました。

そこでお通じがどーっと出ました。いつも便秘気味で少しずつ便がでないのですが、、筋肉が弛緩し始めた証拠だと思いました。まったく水分も取れず、そこでご家族にご連絡しました。

もう長くないかもしれないです。」

ご家族とも無事に対面されましたが、いつものお茶目さはもうありませんでした。

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その日は介護保険の申請業務があり、20時頃まで残業してました。

帰り際にAさんのベッドのもとへ。

「Aさん、僕もう帰りますね。また明日会いましょうね。」と話しかけた瞬間、パルスオキシメーターに示された値が「80…75…60」とどんどん下がっていきました

ご様子を見守っていましたが、最後に何かがのどに詰まったように顎をグーっと突き出し、その後すっと脱力したAさん

念のため血圧を測ってみましたが、測定できない。

目の前で命が失われた瞬間でした。

残業していなければ立ち会っていなかったかもしれない。Aさんは僕に貴重な体験をさせてくれようとしたのかな、そんなことを考えながら打ち合わせ通りにことを済ませました。

最後に

葬儀に参列させていただきました。

喪主である息子様から「晩年は介護施設に通わせていただぎ、大変お世話になりました。母も幸せだったと思います。」

うれしいけれど「あなたまったく会いに来てないよね」と少しだけ複雑な気持ち

でも、お孫さんたちは「とても顔がきれい」とおっしゃり涙を流されていました。

お身体もきれいな状態で、最後を迎えられて本当に良かった、介護士冥利につきるケアができたと思います。

当時30歳の若造でも、知識と経験があれば看取りできた、という一つの事例として共有してみました。

高齢者がどうやって生き、そしてどうやって死んでいくのが幸せか。みなさん少し考えてみませんか?

20XX年、3月8日。

この日付を僕は一生忘れない。Aさん、僕はもう少しこの世で頑張ります、また会いましょう。


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