みなさんこんにちは、テラド(@terashin1226)です!
私には娘が2人います。長女は今年1月に7歳になりました。
小学生にもなると、いうことが大人びてくるのですが、フィルタのかかっていないまっすぐな言葉にハッとさせられたり、ドキッとさせられたり…
そんな瞬間の記録です。
2018/4/6
「パパー、ほら見て」
起きぬけに、娘からの報告を受ける
我が家の液晶テレビの横には、一年ほど前に妻が買ってきた、野いちごが育てられるという、いちご育成キットが鎮座している
種を植えてから、はじめの数週間
数日は何も起こる気配はなく、娘と一緒に生えてくるかもわからない「芽」の出現を、いまかいまかと待ちわびた
購入したときはまだ冬本番、寒い日が続いていた。
あきらめかけていたある日、数ミリほどの芽が飛び出してた
4月6日
娘の指さす先で、その小さかった芽はたくさんの葉をつけ、茎から葉までの間は20センチ程に到達していた
「ほんとに、なるのかなぁ」
娘は、いぶかしげにそう話す
その「いちご」の苗は、か弱かった時のおもかげはなく、めいっぱい茎を伸ばして地に長い根をはり青々とした葉をつけている
「どうかなぁ、なるかなぁ」
娘は今日から小学校に通う
2018/7/14
娘の朝顔観察日記が始まった。
僕「あれ、下の方は、枯れてるなー」
娘「でも枯れたら、種になるんだよ。そしたら、また蒔いて、そしたらまた花になるでしょう?だからいいんだよ、枯れても」
朝から、ハッとして、娘の小さなほっぺにチューをした
「パパ気持ち悪い!」
2018/7/27
「パパ、今日は薄ーい夜だね」
「へーたしかに、薄い夜やなぁ」
日が延びた夏の夜だ
娘の中では「薄い夜」「濃い夜」という分類があるらしい
抽象的だが、あるものが目的と違う用途で長い時間使われていたことで、その「あるもの」に本来と違う印象が紐付いてしまうことがある
それは、言語だったり技術だったり習慣だったりする
僕は、ドヴォルザークの「新世界より」を聴くと、「早く帰れ」と言われてる気持ちになる
閉館間際のデパートや図書館などで、よくこの「ドヴォルザーク」がかけられるからだ
ぼくたち生物が、個体としての「生と死」というシステムを採択したのはこういう「大人たち」のバイアスを取り去るためなんだろうか
娘の言葉を聴くと、いつもそんなことを考えさせられる
でも、やっかいなことに「社会」というのも一つの生物のようなもので、慣性が働く
生まれ落ちたが最後、僕たちはこの慣性の渦の中に巻き込まれる
娘も、「ドヴォルザーク」聞いて「早く帰れ」と感じるようになるのだろうか
僕たちが、どういう聞かせ方をするのか、子供達とどう体験を共有するのかも大事だよな
そんなことを考えながら「薄ーい夜」に聞く「ドヴォルザーク」
それもまた、一興だったりもするのだけれど
2018/9/4
娘が「くもりちゃん」と名付けた蜘蛛
昨日の夜寝室に現れたので
「明日起きたら一緒に寝てるかもよ…ふふ」と話したら
「虫は布団で寝ないよ」
と正論を返された
成長したな、娘よ
2018/11/22
いい夫婦の日。
次女が生まれた。
生まれるまで2週間ほど、妻は実家に帰り、長女と一緒に頑張って生活をつづけた。
「パパ、これで天使ちゃんが2人になったね!」
そう、僕は長女を「パパの天使ちゃん」と呼んでいる。
天使ちゃん2匹人に囲まれながら、幸せな日々を過ごしています。
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